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“50年待ちピープル” 

 “50年待ちピープル” と “リアルタイム・ピープル”


 饅頭の話からしよう。


最近は饅頭も個別包装が多い。そしてそれぞれの包装の中に何やら四角い厚紙のようなものが入っていて、「これは食べられません」などと書いてある。そうである。“脱酸素剤”というやつである。饅頭やマドレーヌだけでなく、さまざまな食品のパッケージ内に入っている。こういうものが入るようになってまだ十数年ではなかろうか。20年前にはほとんど見かけなかった。ふと気づくと、世の中は感知できないくらいゆっくりな速度で変わっている。


  


もちろん“脱酸素剤”は食品などの品質劣化を防ぐ(遅らせる)はたらきがあるわけで、それが入れてあるのはそれ自体けっこうなことだ。さて、わたしがここで言いたいのは、“脱酸素剤”というものが日常的にありふれたものになったのは、ある科学理論が一般に受容されてきた結果だという点である。それは、フリーラジカル説である。活性酸素説ともいうが、1956年に出てきた説で、簡単に言えば、酸素が悪さをする、老化を早めることがあるということだ。この理論はすぐに受け入れられたわけではなかった。実際、饅頭に“脱酸素剤”がひっついてくるようになるまでに50年以上かかっている。端的に言って、老化の原因、がんの原因、生活習慣病の原因等々、からだに良くないものの大きな原因の一つが突き止められたわけである。わたしは30年ほど前にこの説を知って注目した。当時はまだ定説とはなっておらず、一般には受け入れられていなかったが、わたしは抗酸化物質やビタミン剤を摂取し始めた。


 フリーラジカル説の父、デンハム・ハーマン博士


 最近ではこの説は健康常識の一部となり、「体がサビないように」 というキャッチコピーもすんなり理解されるようになっている。フリーラジカル説が出てくる前は、“酸素” は生命や生命活動にとって必要不可欠な大事なもので、まさか酸素が害をなすとは誰も思わなかったのだ。酸素吸入、酸素ボンベというものは救命措置に必要であるし、酸素のない状態では人間は生きられないことは常識ではないか。しかし、酸素が生命活動にとってマイナスにもはたらくメカニズムが明らかになり、裏付けがそろってくるにつれて、この説は少しずつわれわれの生活の中に浸透してきた。そして、日本の饅頭に脱酸素剤がひっついてくるようになるのに50年以上の年月がかかったのだ。


 


 以上は酸素の話であるが、このフリーラジカル説に遅れること10年ほどして、今度は太陽光線の害が言われだした。そうである。今では日本の小学生も知っている紫外線の危険性である。


 


 1960年代の後半にはアメリカで日焼け止めクリーム(sunscreen)が登場した。実は第二次大戦以前から欧米の白人の国々では日焼けは流行になっていて、日光を浴びてきれいに日焼けした肌を競いはじめていたのだ。生白い肌はカッコ悪く、男も女もほどよく日焼けして浅黒いほうがセクシーということになってきたのだ。しかし、日焼けの加減はむずかしい。特に白人にとっては。このサンタンの美学を象徴したのはコパトーンのポスターであった。コパトーンは当初は紫外線対策ではなく、火ぶくれせずにきれいに“銅の輝き(copper tone)”のような色合いに日焼けするためのものであった。日焼けは一つの “ファッション”であって、この流行は戦前に発生したものである。1960年代に興ったミニスカートの歴史よりも古くて長く、今日でもしっかりと生き延びており、現に日本にも日焼けサロンというものが存在している。


 コパトーンの“不滅”のポスター


 


実は、おしゃれやファッションとは別に20世紀初頭から日光浴療法というものが流行していたという背景がある。結核やクル病や虚弱体質の改善に効果があるとされていたのだ。これはほとんど当時の世界の医学常識であった。実際、日照時間の少ない地域にそうした病気が多かった。結核のサナトリウムはどこの国でもだいたい南部に作られた。日本では、明治20年(1987)に東京の南部に位置する鎌倉の由比ヶ浜にできたサナトリウムが最初である。1960年代に紫外線の危険性が指摘され始めるまでは、どこの国でも太陽光線や日光浴は体によいと思われていて、そのマイナス面はほとんど問題にされていなかったのである。実際メリットとデメリットを秤にかけたら、あながちまったくの間違いとは言いきれないかもしれない。しかし、今日、日光浴を勧める医者はほとんどいないであろう。


 


 同時期の酸素の場合とパラレルな歴史がここにはある。空気、太陽は自然の恵み、健康の元であったのが、第二次世界大戦後の1950年代から1960年代にかけて、活性酸素と紫外線の害や危険性が解明されてきたのである。しかし、科学者がいくらそういった発見をして警告をしても、その声がそのまま一般大衆の行動にすぐに影響を与えるわけではない。実際、一般大衆の生活に反映するのには50年以上の年月がかかるのが通例である。


 



しかし、稀有な例外がある。皮膚がん発生率が世界一であるオーストラリアでは1980年代から国を挙げての紫外線対、“Sun Smart プログラムを始めた。今から26年前の1988年のことである。紫外線によるその他の健康障害も欧米諸国の中では特に多いためにオーストラリア政府としては本腰を入れざるをえなかったのである。「長そでのシャツを着よう!  日焼け止めを塗ろう!  帽子をかぶろう!  サングラスをかけよう! 」というスローガンを国中の学校や自治体で掲げ出したのが1988年であるから、国家的対策としては例外的に迅速であったと言えるだろう。しかし、オーストラリアではこの国家的プログラムが始まるずっと前の第二次世界大戦以前から、ここに挙げた4つのスローガンをほぼ実行している人間はかなりいた。わざわざお上に言われなくても、自分の判断で行動している人間は常にいる。逆にお上に命令されたり、周りの人間が行動し始めたりして、やっと腰を上げる人間はどこの国でも、いつの時代でも常に圧倒的多数派である。


 


 さて、フリーラジカル説 にしても、紫外線有害説 にしても、重要な説で自分が納得すればためらわずに受け容れて自分なりに行動している人間はいるものである。自分の頭で考えて判断し、行動するという、当たり前のことをしているだけの実に単純極まりない人たちである。世間の人々がまだ無関心なことでも、重要なことであればそれを前提に考え、行動するひとたちである。周りの人々に笑われたり、おかしな人だと思われるからといってもやめようとはしない、どちらかというとマイペースな人々である。


 


 ふつうのひとはみな自分は “自分の頭で考えて行動している” と自分では思っているのではなかろうか。しかし、実際は「変わったことは言わないようにしよう、変わったことはしないようにしよう」というメンタリティの常識的な人々である。そして、この“常識的な人々”こそ、50年後になってやっと腰を上げることになる “50年待ちピープル” なのである。“受け容れる” のではない。むしろ “従う” と言うほうが正しいだろう。なぜならば、“受け容れる” というのは個人的選択の範囲であるが、“50年後” にはほとんど選択の余地が無くなって、従わざるをえない状況になっているからである。饅頭の包装を開けると、好むと好まざるとにかかわらず “脱酸素剤” は入ってくるのである。つまり世の中のほうが変わってくれているので、“50年待ちピープル” は自分の頭の中身を変える必要がない(頭の中に何か入っているとしての話だが)。“50年待ちピープル”は、世の中の流れが変わってから渋々自分も腰を上げてそれに従う人々である。“50年待ちピープル”は自分が腰を上げるまで、すでに始めている人を笑っている人々である。“50年待ちピープル”それとも “リアルタイム・ピープル”か。 


 

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コメント

なんかさー

なんかさー、エラそうな物言いが気に入らないね。自分がさも何でも知っているような感じでさ。差別的だよね。

↑ 50年待ちピープルの典型

50年待ちピープルは相手が常に自分の小さなプライドを最大限に尊重してくれることを期待している。相手がそんなことに全然頓着しないと、それだけで機嫌を損ねてしまい、謙虚にひとの意見を聞くことができない。50年待ちピープルの典型例と言えるだろう。

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