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映画評 「彷徨える河」 “ポリティカリー・コレクト” な映画 (ネタバレあり)


映画評 「彷徨える河」 “ポリティカリー・コレクト” な映画 (ネタバレあり)


★★★☆☆ 星3つ


 


超マイナーな映画であるので、最初にざっとネット上の映画紹介をもって紹介にかえたい。http://cinema.eonet.jp/article/detail?tab=news&id=31394


コロンビアの俊英が描き出す、驚愕の世界観と圧倒的な映像美『彷徨える河』


2016.05.31



 


2016年アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたコロンビア映画『彷徨える河』が、10月に日本で公開されることが決定した。また、それに先立ち、8月11日から愛知県名古屋市などで開催される国際美術展覧会「あいちトリエンナーレ2016」映像プログラムで上映されることも決定した。


『彷徨える河』は、20世紀初頭と中盤にアマゾンに足を踏み入れた実在する2人の白人探検家(ドイツ人民族誌学者テオドール・コッホ=グリュンベルクと、アメリカ人植物学者リチャード・エヴァンズ・シュルテス)の手記に触発されて作られた物語。神秘的な幻覚や呪術に彩られたマジックリアリズム的な世界観に、大アマゾンを舞台にした美しいモノクロームの映像、繊細で情感溢れる多層に重ねられた音が伴うことで、失われた先住民の“記憶がスクリーンに強烈に焼き付けられる。


 


侵略者によって滅ぼされた先住民族唯一の生き残りとして、他者と交わることなくジャングルで孤独に生きているシャーマンのカラマカテ。ある日、彼を頼って、重篤な病に侵されたドイツ人民族誌学者がやってくる。白人を忌み嫌うカラマカテは一度は治療を拒否するが、病を治す唯一の手段となる幻の聖なる植物ヤクルナを求めて、カヌーを漕ぎ出す。数十年後、孤独によって記憶や感情を失ったカラマカテは、ヤクルナを求めるアメリカ人植物学者との出会いによって再び旅に出る。過去と現在、二つの時が交錯する中で、カラマカテたちは、狂気、幻影、混沌が蔓延するアマゾンの深部を遡上する。闇の奥にあるものとは……。


 


 


  


監督は、米エンタメ業界紙「Variety」で「2016年に注目すべき監督10人」に選出されるなど、近年、世界的に注目されているコロンビアの俊英、シーロ・ゲーラ。今作も2015年カンヌ国際映画祭監督週間芸術映画賞受賞、2016年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート(コロンビア映画史上初)など、数々の映画祭で高い評価を得ている。また、米国では初週土日の成績が 2015年公開の外国語作品のトップになるなど異例のヒットを記録。さらにフランスでもロングランを記録するなど、興行面でも世界的成功を収めている。


                         引用終わり


 


 “ポリティカリー・コレクト” な映画


今日(こんにち)、ハリウッドをはじめ世界の映画界では、先住民族の権利復権、先住民族の文化の再評価が流行である。すでに別記事で書いた 「レヴェナント」 もそうした流れに乗った作品であって、白人によって破壊された北米の先住民の文化をバックグラウンドにしている。


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そして、この 「彷徨える河」 は、白人によって破壊された南米アマゾン流域の先住民の文化をバックグラウンドにしている。



両者に共通しているのは、非常に “ポリティカリー・コレクト” な映画であって、時流にうまく乗せて “高得点” を狙っている 点である。先住民の虐殺、先住民文化の破壊をしてきた白人文化を俎上に載せるようなポリティカリー・コレクトな(政治的に正しい)テーマの作品は、ケチをつけにくいので、そこそこの評価点が得られるのだ。暴力的な白人文化の犠牲になった先住民側からの作品に対しては、作品の出来不出来は別として、一応みんなが拍手を送らなければならないような雰囲気があるようだ。


虐げられた民族に肩入れした作品は自動的に高評価になる傾向があるわけだ。低評価をする人間は “文化差別主義者” “植民地主義者” “帝国主義者”のレッテルを貼られるリスクを冒すことになる。そして自分は“反差別主義者” だと自認している人間は、そうしたリスクを冒すことなく自動的に高評価を与えることになる。


こうした映画界にある “政治的評価”、そして今度はそれを狙った “政治的戦略”に基づいて製作される映画 があるということも知っておくべきかもしれない。


 


 


“先住民の視点で描いた” とか “失われた先住民の文化を見直す” というと、それだけで自動的に 「いい映画」 となってしまうのが実態である。実に “朝日新聞的” なのである。わたしはこういったステレオタイプ的反応の評価は大嫌いである。これはある意味で “反白人文化プロパガンダ” である。白人文化であれ、反白人文化であれ、プロパガンダはプロパガンダだろ、というのがわたしの見方だ。プロパガンダ映画であることを見抜けない人間が多すぎる。


たしかに映画界は伝統的に白人文化がマジョリティであるが、マイノリティの非白人文化側の作品なら、プロパガンダでも大目に見てやろうか、といったお情けをあてにして映画を作っているとしたら、“情けない”かぎりだ。



ネット上でいくつもこの映画の映画評をみたが、どれも “ポリティカリー・コレクト” な“反白人文化プロパガンダ”映画 に対してひれ伏すようなものばかりで辟易した。


 


 


はっきり言わせてもらおう。それほど大した映画ではない。星3つがいいところである。


脚本も、映像・カメラワークも稚拙なところが目立ち、突っ込みどころ満載である。こういうふうにずけずけ言うと、ハリウッド映画と比べて難クセを付けるのはフェアではない、というお叱りを受けることは承知の上である。しかし、わたしは何も低額予算の映画ゆえの問題点をあげつらっているのではない。


 


全篇モノクローム?


この映画はモノクロームであり、たしかにカラーよりは低予算であったであろう。しかし全篇カラーでは予算がかかり過ぎて作れなかったなどということがあるわけがない。全篇モノクロームにしたのは、予算の都合ではなく、監督の “映像美学”に基づく選択であろう。しかしモノクロームにしてどれだけ映像美が高まったかは、はなはだ疑問である。


ほとんどBGMもなく、白黒の画面で数人の登場人物がボートでアマゾン川を遡行していて、カメラワークも単調である。



 


全篇を白黒映像にして、観客自身のイマジネーションによってアマゾンの自然の奥深さ、神秘をそれぞれで自由に感じ取って頂きたいなんていうことを言いたいのだろうが、これは失敗である。わざわざアマゾンロケを敢行しながら、実にもったいないことをしている。白黒にしてしまうと、アマゾンの熱い息吹、生命の沸騰、べとつく蒸し暑さが全然伝わってこないのだ。アマゾンの夕焼けもただのグレーである。



この映画とは無関係の写真で比べて頂きたい。右のようなものを 「美しいモノクロームの映像」 と言って有り難がっているひとたちがいるのだ。



カラーにして、観客を危険なほどに毒々しいアマゾンの大自然の中に思いっきり引きずりこむべきであった。そうすれば、ストーリー展開の単調さも破れただろう。密林、美しい羽根の鳥、ピューマ、アナコンダ、太陽・・・ アマゾンこそカラーでなくてはならないはずだ。


 


 


稚拙なストーリー展開 


一行が遡って行くアマゾンの川沿いには、さまざまな人間集団がいて、それぞれの設定はよくできている。しかし、出会ってからの実際のやりとりに無理が目立つ。 リアリティがないのだ。それを「マジックリアリズム」 として珍重しているファンもいるようだが、単に脚本が練れていないのだ。しかし、ポリティカリー・コレクトな反白人文化プロパガンダに対して、突っ込みを入れることは “タブー” になっているかのようだ。いかに多くの人がこのタブーを回避しながら、この映画を褒めそやしていることか。この作品を褒めることによって、自らの反差別と先住民文化の尊重の姿勢をアピールできるかのようだ。


誤解のないようにお願いしたいが、わたしは、この映画の着想、メインプロットはなかなかいい と思っているのだ。しかし、それらを支えるべき個々の場面のリアリティが不足しているのを残念に思っているのだ。 



 


終盤に出てくる岩山である。この高さ500メートルは優にあろうと思われる掴み所のない岩山を眺めていたかと思うと、次のシーンではその頂上を、主人公のインディオと植物学者の白人がいきなり歩いているのだ。


「おいおい、あんたらどうやって、てっぺんまで登ったんだよ!」 と突っ込みたくなるわたしは、よほどの意地悪なのであろうか。


 


さらになんと、この岩山のてっぺんに、幻の植物、 “ヤクルナ” が咲いている、という設定である。そして、白人がその花を摘もうとすると、インディオが制止して、白人にはやらないと言う。するとこの白人はポケットからナイフを出して、殺意までむき出しにしてインディオを脅して花を取ろうとする。


この時代設定は、第二次世界大戦前夜ということらしく、花を奪おうとして白人は唐突にも 「戦争で、ゴムは重要になるんだ」 と本音を吐くのだ。この植物学者のアメリカ人は、まるで「レヴェナント」 に出てくる悪玉のジョン・フィッツジェラルドと同じではないか?金儲けのために先住民の文化と自然を踏みにじる大悪党の登場である。


こういったプロパガンダ的展開が非常に幼稚に見えてしかたがない のはわたしだけであろうか。


 


この “ヤクルナ” という植物は非常に効き目のある幻の薬草という設定で、別の場面では、主人公のインディオはいくつも咲いている草本のこの花に焚火の燃えさしで火をつける。すると、咲いている花がメラメラと燃え上がるのである。枯れてもいない花がどうして燃えるのだ?そしてその花が囲んでいる大木にも火をつけていくと、これも轟々と燃えあがっていくのである。これを 「マジックリアリズム」 というのであろうか?


 


しかし、わたしはこの映画を見て、特に後悔はしていないのだ。コロンビアという1年に数本しか映画が製作されていない国が生んだ映画を見たというのは意味のあることだと思う。世界の映画批評家が 「先住民の視点」 などと言って、もてはやす映画がどんなものかを知ることもできた。


 


一般論として、こう言えるだろう。マイナーな国の映画は、マイナーな国の映画というだけで見る価値がある、と。マイナーな国の映画はその希少な出自だけですでに自動的に“星3つ” をあげていい。それがよく出来ていれば、もちろん星4つ、星5つもありうるだろう。


この映画 「彷徨える河」 はもっといい作品にすることもできた、まだ伸びしろがあったという意味で、星3つである。 


ちなみに、未開のアマゾンの先住民を描いた映画としてわたしが高く評価しているのは、メル・ギブソン監督の 「アポカリプト」 (2006)  (1972)である。お薦めである(★★★★★)。https://archive.org/details/Apocalypto2006-HistoricalAction-adventureMovie


 


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