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ネコはなぜ可愛いか?

 


 ネコはなぜ可愛いか?


 


 


 


 


 


 


 


エジプトの猫たち


 


 


 


外でまたネコの鳴く声がしている。しばらく聞こえている。あれ、どこかで赤ん坊が泣いているのかなと思いなおす。隣家に親族が来ていて子どもを連れてきているのだと妻がおしえてくれる。なるほど。しかし、ネコの鳴き声によく似ている。ところがまたしばらくして妻が思い出したように言う。その親族は連休中に帰ったはずだわと。すると、やっぱりネコか?そう思った頃にはもう聞こえなくなっていた。


ザウルスでござる。


なぜネコの鳴き声と人間の赤ん坊の泣き声は似ているのか。


ネコが人間の赤ん坊に似ているのか、それとも人間の赤ん坊がネコに似ているのか?明らかに前者である。ネコの鳴き声が人間の赤ん坊の鳴き声に似たのである。イエネコの歴史は人間の歴史に組み込まれてきたプロセスだからである。


ネコ科動物の一部は人間に飼いならされて独自の進化を遂げたのだ。自然選択ではなく、人為選択によって瞬く間に現在の地位を得るに至った。人間なしには今日われわれがふつうに見るようなネコは決して存在しえない。その意味では人間はネコに対して責任がある。これはもちろん犬についても言える。 


イエネコの体重はおおざっぱに言って4kg前後である。ライオン、トラ、ヒョウなどは平均して200kgくらいである。同じネコ科でも、人間によって家畜化したイエネコは、今日の野生の大型のネコ科動物の50分の1のサイズである。しかし、この小型化は家畜化の結果というわけではない。


イエネコの祖先はDNA解析によってリビアヤマネコだというところまで突きとめられている。このリビアヤマネコは1万5千年前には現在のイエネコとさほど変わらない大きさのネコだったのである。それが今から五千年ほど前にエジプト界隈で人間に飼われるようになったという。つまり、ネコ科動物は、人間による介入以前にすでに大型化と小型化(サイズの多様性)という進化を遂げていて、人間は後者の中から家畜化したのである。


イエネコは吠えるかわりに鳴く。他のネコ科の動物と比べて、イエネコの目は顔の大きさに比して大きい。これらはみな160世代以上の人間によるほとんど無意識の淘汰の結果である。意識的、意図的な品種改良の歴史はまだ浅い。ネコにはたしかにヘビやネズミの駆除という利用目的があっただろうが、その家畜化の歴史はその最初期からペット化の歴史でもあったのだ。これは犬でもそうである。子猫、子犬を、文明の初期の人類たちも “可愛い” と思ったのである。むしろそれがきっかけで飼い始めたにちがいない。実用性はむしろ付加価値であって、飼育の動機を強化したのである。


ここは重要な点である。ヘビやサソリやネズミの駆除とか、番犬といった実用性がきっかけで飼い始めたのではない。なぜならば、そういった実用性が実現するには成長までの時間や訓練が必要であるが、愛玩動物としての価値は子犬、子猫の時点ですでに存在しており、むしろそれらの動物たちの最初期こそ最も “可愛い” からである。そして可愛がって育てた動物に対しては愛着が生じてそのまま飼うことになる。つまり、実用性が生じる以前に飼育が始まったのである。


 


ちょっと回り道と言うか、歴史を逆流しすぎると思うかもしれないが、必要あってのことである。犬も猫も一回におおざっぱな平均で4,5匹の数の子どもを産む。自然状態ではそれらのうちほんの1,2匹が成体になればいいほうである。全部死ぬことも多い。少なくとも半数は赤ん坊の段階で死に、残りのまた半数のうち一部がなんとか成体になるのである。


人間に飼われ始めたネコも同じくらいの数の子どもを産む。しかし、今度は自然ではなく、人間が淘汰するのである。イエネコの場合、自然淘汰ではなく、人為淘汰になったのである。早い話が、生まれてきたネコたちのうちから人間が自分たちの好みで一部を残し、あとは殺すか捨ててきたのである。これがペットの運命である。それでも自然状態で淘汰されるよりはネコという種族にとっては幸運なこととも言えるかもしれない。実際今日の世界におけるイエネコの繁栄ぶりは絶滅危惧種に指定されているライオンやトラたちとは好対照である。


さて、人間による淘汰、つまり選別の過程は生まれたてのネコに対してだけではなく成体になったネコに対してもあったはずだ。端的に言って“可愛い”ネコが歓迎され、そうでないネコは捨てられてきたのだ。そうして人間の好みに合うネコの”遺伝子”がだんだん保存され濃縮されてきたのである。しかし、その遺伝的特質のリストにはさまざまなものがある。大きさ、毛並み、毛の色、目の色、目の大きさ、人間への順応性、ネズミを取る能力、病気への耐性、そしてその中でも 鳴き声” 当然あったに違いないとわたしは思うのである。どうしてこれが入っていないわけがあろうか。単に鳴き声と言っても、鳴く声の大きさ、鳴く頻度、鳴き声の質、人間にとっての可愛さ等々とその要素は複合的である。しかし、人間の赤ん坊の声に似ているという要素があったことは疑いが無い。なぜそこまで断言できるのかとあなたはいぶかるだろう。


その理由はこうである。


“捨てネコ”という言葉がある。そうである。何百年、何千年の昔からネコは捨てられてきたのである。しかし、すべてが捨てられていたのではなく、当然、選別に漏れたものたちが捨てられてきたのである。捨てられた幼いネコたちは母ネコを求めて鳴くことになる。そのとき 人間の赤ん坊の泣き声に似た鳴き方をするネコがいたとしよう。草原に捨てられたそのネコが鳴いている。その近くを通りかかった人間は、人間の赤ん坊が泣いていると思って一生懸命に草をかき分け、そのネコを見つけることになる。「なんだ、ネコか・・・」  そう言って立ち去る人間もいただろう。しかし、また別の人間が通りかかり、可愛いと思い、子どもへのお土産として拾われて行ったこともあっただろう。


いずれにせよ、人間の赤ん坊の泣き声に似た鳴き声をするネコは、再び人間に拾われるチャンスが、そうでないネコよりもはるかに大きかったと断言できる。そのようにして幸運にも人間社会に復帰できたネコは、人間社会の中で連綿と流れてきているネコの遺伝子プールの中にその人間の赤ん坊に似た鳴き声という特質の遺伝子を注ぎ込、その遺伝子をさらに濃縮することになる。


ここで大事な点は、ネコも人間も無意識にやっている ということである。ある意味で、人間の赤ん坊の泣き真似のうまいネコが人間をだまして繁栄しているとも言える。また、人間の側では “人間の赤ん坊に近いネコ” 無意識にいつも選んでいるとも言えよう。実際ネコというペットはある人々にとっては 赤ん坊の理想的な代用品 である。


実際の赤ん坊はやがては抱っこもできない大きさに成長して、もはや母親に依存することもなくなってしまう。多くの母親は一抹の寂しさを覚えるものである。そこにネコが登場する。ネコはいつまでも “赤ん坊” のままでいてくれて、いつまでも食べ物をねだってくれる存在である。いつまでも自分を頼ってくれる、いつまでも自分という存在を必要としてくれる相手、そして決して自分を裏切らない、生意気な口をきかない存在である。もちろん、こういった表現はあくまでも “言葉のあや” である。


ネコを抱いたことがあるひとはわかるだろうが、まさに赤ん坊の大きさである。この程よい大きさと重量に、ネコの体の柔らかさ、丸くなる性質が相まって、赤ん坊のように、いやむしろ赤ん坊以上に抱きやすいペットとなっている。これにネコの美しく大きな目、なめらかな毛並みがさらに魅力を付け加えている。もちろんここで鳴き声も忘れてはいけない。こうした先祖伝来のDNAを担っている1匹のネコは特に人間の女性の母性本能をサブリミナルに刺激し、操作する ことによって、自らの一個体の生存ばかりでなく自らの “種族” の安寧と繁栄にも貢献しているのである。


あなたの町のどこかにもいないだろうか。“ネコおばさん”という種族が。野良ネコにエサをやったり、自宅にたくさんのネコを飼っている中高年の女性が・・・。


ネコによって行動を操作されているひとびとはたしかに女性ばかりではない。しかし、女性、それも子供を育て終わった、もしくは元々子供のいない女性が特に多いことは否定できない。そしてネコという種族は、そうした母性本能のはけ口を必要としている人々を巧みに“操作” しながら、数千年かけて 人間の赤ん坊の代用品的地位 に登りつめたのである。

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