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「コーヒーは・・・?」 「常温でお願いします」


「コーヒーは・・・?」 「常温でお願いします」


飲み物の自動販売機は日本の街の風景の一部となって久しいが、いつも不思議に思うことがある。何か飲もうと思って正面のサンプル群を見ると、必ず コールド か ホット なのである。どちらかなのである。 コールド でも ホット でもない “常温” というのが無い!なぜ “常温” が無いのか?おきまりの回答は、“常温” よりも コールド か ホット のほうが美味しいからだ、というものだ。なるほど、そうすると、厳密に “味” の問題ではないにしても、体温との温度差があったほうが飲んだ時に美味しく感じるという心理的反応があるのかもしれない。


喫茶店でコーヒーを注文しても必ず聞かれるのが、「ホットですか、アイスですか?」である。常温のコーヒーは、冷めたコーヒー、もしくは氷が融けて温まってしまったコーヒーということで、商品価値が低下したものということになるだろう。ここにあるのは、常温からの温度差という “付加価値” である。飲み物の自動販売機ではこのことが特に顕著に表れる。10種類以上の飲み物を季節に応じて、ホット飲料 と コールド飲料 の割合を微妙に変えて常にいずれかで提供できるようにしているのだ。それらをすべて “常温” にしたとしても、つまり、温度管理機構がまったくなかったとしても、決して飲めないわけではないのに、である。 


なるほど、たしかに日本の飲食店で出される水は、「お冷(ひや)」と言って、冷たい水を出すのが通例である。これは、もしかしたら、日本人のホスピタリティ(おもてなし)の一環なのでなかろうか。つまり、客人に提供する飲み物に加えるこの “温度差” という付加価値はおそらくそれ自体がホスピタリティの “しるし” なのである。ぬるいコーヒーはそれ自体が美味しくないのではなく、ホスピタリティ(温度差)が十分でないがゆえに不愉快であり、不快であり、不味いことになるのではなかろうか。


「お茶の一つ」 というセリフがある。「あそこの家はまったく、お茶の一つも出さないんだから・・」 「お茶の一つくらい出せないのかね!」 という使い方である。これは、お茶、もしくは何らかの飲み物を出すことが日本的ホスピタリティの最低限の条件であることを物語っている。そして出したら出したで、今度はその温度で ホスピタリティの “温度差” を評価されるのである。「こんなぬるいお茶、飲めるか!」という言葉の真のメッセージはホスピタリティの不足に対する不満であり、客人(ゲスト)に対する “冷遇” への抗議である。


「何だこのビール、全然冷えてないじゃないか!」と言われれば、店員は慌てるのである。   2015/03/30


 



 

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コメント

常温のペットボトルなら

自分の通っている病院のコンビニに置いてあります。
お腹が弱くて冷たい飲み物で下痢しやすい人のためにコーナーを用意してあるそうな。

ご報告ありがとうございます。つまり、路上の一般向けの自販機ではなくて、病人向けということなんですね。
実は冷たい飲み物は一般のひとにも良くないんです。不必要に消化器官を冷やすのがいいわけがありません。

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真実は、受け入れられる者にはすがすがしい。
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