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“情報富裕層” と “情報貧困層”


“情報富裕層” と “情報貧困層”


“富裕層” 、“貧困層” という表現をあえて使うのは、意図的な挑発である。単に、 情報の世界において“豊か” “貧しい” と言うのと同じである。 情報富裕層 と 情報貧困層 という区別があることに気づいたのは2,3年前であるが、わたしの意味するところは、おそらく読者の予想とはまるで違うであろう。


インターネットが普及し、パソコン、スマホ、そしてタブレットがこれほどまでに出回って使われている今日、“情報富裕層” とは誰を指すのか? “情報貧困層” とは誰を指すのか? 一昔前であれば、国会図書館に何日も足を運ばなければ得られなかった情報が、今日ではパソコン画面上でほんのわずかな時間でいくらでも得られるということが普通のことになってきた。情報を得るためのコストは限りなく安くなり、それを得るための時間も限りなく短縮されてきている。こうした時代にあって、スタバの一角でコーヒーを飲みながら最先端のタブレットでひたすらネットサーフィンをしている人間が “情報富裕層” とは限らないというのがわたしの話である。これほどまでに “情報” が限りなくインフレ化してきた現在、情報量の多寡は “富裕” であるか “貧困” であるかの指標には、まるでならなくなってしまっている というのが私の説である。


それでは、“富裕層” と“貧困層” を分ける区別はどこにあるかというと、所有する、もしくは検索できる情報の絶対量などではなく、当人オリジナルの情報の “発信量” なのである。いくら最新モデルのタブレットで、最新の情報を検索し、閲覧し、ダウンロードしていても、 “受信” するだけ、“吸収” するだけ、その他人の情報を交換しているだけで、これといった自分オリジナルの発信はしない人間は、しょせん “情報貧困層” に属する有象無象なのである。


もちろん誰でも多少の発信はするであろう。問題は比率である。“発信/受信 比” において、発信の比率が高ければ高いほど “豊か” であり、受信の比率が高ければ高いほど “貧しい” ということである。つまり、情報世界への貢献度が高いほど “豊か” であり、貢献度が低い(たとえば、ネットサーフィンしているだけ)ほど “貧しい” ということである。


さまざまな “面白い” “役に立つ” “有益な” 情報にアクセスして自分の世界が広がり、自分が高まり、豊かになったと思い込んでいる人間は多い。スマホやタブレットやノートPCなどの情報端末の最新モデルを所有することがその錯覚をさらに助長させる。


しかし、テレビを考えてみたまえ。ケーブルテレビでさまざまなチャンネルを一日中見ている人間が情報の世界で豊かな生活を送っていると言えるか?逆にそれだけ、“バカ” になり、 精神的に“貧困” になってはいないだろうか?情報の世界を、モノの世界の延長であるかのように思ってしまうのが “貧困層” の発想の典型である。何でも、絶対量が多ければ多いほど “豊か” だと思ってしまうのだ。そして、その他人の情報をやり取りしているだけで豊かになったと錯覚する人間で溢れかえることになる。


情報の世界、精神的な世界、文化の世界で本当に “豊か” な人間は、“発信” するために “受信” する。“表現” するために “吸収” するのだ。自分からの発信が最優先なのだ。これはなにもインターネットのサイバースペースのことだけではない。頻繁に絵画展に足を運ぶだけの人間よりは、いくらヘタでも自分で絵を描き、個展やグループ展に出品する方が “豊か” なのである。ひとのマネや受け売りではないオリジナルの “メッセージ” をどれだけ “発信” しているかが問題なのである。   2015/03/01


 


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